誠実ってなんだろね
誠実ってなんだろうな、と度々考える。
「誠実」とひとことに言っても、それには種類がある。
社会に対して誠実なのか、人に対して誠実なのか、規範に対して誠実なのか、自分に対して誠実なのか。
「誠実」という言葉で辞書を引けば’’私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること’’と出てくる。
それを踏まえると、おそらく一般的には「誠実であること」は「社会・他人・規範に対して」求められているものであるのかもしれない。
だけど、それだけが大事なのだろうか、、?と疑問も残る。(もちろん大事ではあるのだけれど)
約束を守る、ルールを守る、嘘をつかない、正直でいる、相手を思いやる、などなど誠実と呼ばれる行動は多々ある。では、それを、我々は自分に対しても行えているのだろうか。
見落としがちなのは「自分に対しても誠実であること」の部分ではないのか。
自分に誠実でいる、とは違和感をごまかさない、ということ。なんか違うな、おかしいな、自分がずれているのかな、と思ったことを無かったことにはしないということ。
言葉に出せなかったとしても、自分の感じた気持ちをないがしろにしないということ。
その気持ちの置き所を、自分の中に持つということ。
子どもの率直な「なんで?なんで?」という言葉は、その本質を捉えていて、まだ「フツウの常識」が無いからこそ感じられる貴重な感性なのかもしれない。
そして、それは本当は大人になっても持ち続けていい感性なのかもしれない。
「社会に対する誠実」と「自分に対する誠実」は、ときに矛盾する。
そのとき、おそらく社会的には「社会に対する誠実さ」を求められる。それは確かに必要なことではあるのかもしれない。だけど、だからといって「自分に対して不誠実」であってもいい、ということにはならない。
わたしはいつの日か「自分に対する誠実さ」で構成された社会をみてみたい。すべての人が、自分に対して嘘をつかなくても生きていられる社会。
道のりは長い。
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コメント6件
確かに、「誠実さ」を求められると「???」となる。
言葉に出されてしまうともうどうしたらいいのかわからない。
正直、一番無責任で困る言葉だと思っている。
むしろ、誠実という態度は関心があって、
多少の愛が無ければできえるものではないと思う。
何かにつけ社会の為にだとか、お客様の為にだとか言われるけれども、確かに、一番大事なのは自分に対して誠実なことなんだろうぁ、と思った。
誠実は、服従のサインではないのだから。
ビリージョエル/Honesty
こんな歌詞でしたね(^^;)
Honesty is such a lonely word
Everyone is so untrue
Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you
誠実 なんて寂しい言葉だろう
誰もが不誠実なんだ
誠実 ほとんど耳にしない
そしてそれはほぼ
君に求めたい事なんだ
「社会に対する誠実さ」100%で生きる事は、「自分」を偽って生きる事
「自分に対する誠実さ」100%では、この社会では生きていくのは難しい
「自分自身を認めてあげられる自分」になりたい
「外の世界にずっと探してた真実はいつもこの胸の中」と気付ける日が来るだろうか…