日々を急かさない
ゆっくりと、準備をする。
ゆっくりと、作業をする。
ゆっくりと、コーヒーを淹れる。
ゆっくりと、過ごす。
「ゆっくり」の中には、急いでいるときにはこぼれ落ちてしまう「何か」がきっとある。
昨日、板に塗料を塗っていたときにふと、一つ一つの木目がとても愛おしいということに気がついた。
その木目を愛でるように、一つ一つ触れていく。その時間が、とても満たされていた。
「あと何分で仕上げなきゃいけない」とか、「今日はここまでやってしまいたい」とか、そういった一切の事情を持たずして、ただただ手を動かす。どこまでやったっていい、どこまでやらなくたっていい。
その時間にいるとき、急いでいるときには見えないものが見えてくる。それは確かにいつでも存在しているのに、急いでいるときには「無いこと」になっている。
ゆっくりと、コーヒーを淹れる。その一杯一杯がとても愛おしいのも、そういうことかもしれない。
日曜日、予定も決めずになにもない公園で子どもと遊んでいたとき、たまらなく愛おしい気持ちになった。それだって、そういうことかもしれない。何にも追われていない、意図も目的もない中で「ただただ一緒に笑う」という時間の中には、忙しい時にはこぼれ落ちてしまう「何か」を、しっかりと感じられている気がする。
お店であっても、きっと同じだ。
多くのお客さんが並んでいる時には「早くしなくてはいけない」「待たせてしまってはいけない」という気持ちがどうしても先行して、ひとりひとりの相手の人間性にふれる時間が削られてしまう。
あの時、こぼれ落ちているものが確かにあって、その状態をなるべく作らないような速度で、それでも継続していけるような速度で、お店を営んでいたい。
そのためには、しなければいけないこと、してはいけないことがきっとあって、研ぎ澄ませないとわからなくなってしまうような繊細な部分であるのかもしれない。もしくは、分かってはいるけれど、自分側の調整だけではない絶妙な部分。
なぜ、お店を始めたのか。
それは目の前の人、ひとりひとりの人間性にふれて大切にすることで、日常を愛でたいからなのかもしれない。それは、日々を味わうということ。生きていることを噛み締めるということ。
毎日の忙しい中で「ゆっくり」するのはなかなか難しいけれど、ときどきは目的も制限もなくゆっくりすると、いつもはこぼれ落ちてしまっている「何か」に気付くことができる気がする。
それはきっと、忘れちゃいけない、大切な「何か」なのだ。
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コメント4件
朝起きて家族の朝食を作り、嫁さんの弁当と長男が家にいる時はお昼用のご飯を作る
朝は時間との闘いだ
その後お店でコーヒーを飲んで「ゆっくり」出来る時間が幸せだ
時間の余裕があるので注文の行列があれば列ばないし、なんなら「お先にどうぞ」って感じ
晩ごはんを作り始めなければいけない時間までに家に帰れれば良いのだからねʬ
デザートやケーキを作るのは、時間に左右されず「ゆっくり」と取り組めるのでご飯を作る事よりも楽しいと感じる
「ゆっくり」出来る事は幸せな事なのですね
日々追われてるなぁ・・・。
またハゲそうですw
“ゆっくり”大事やね。