感情にふれる
先週の金曜日、大雨すごかったですね。
帰宅が困難になったり、渋滞に巻き込まれたり、車や家屋が浸水してしまった人もいるかもしれません。未だ復旧工事も必要な場所も多々あり、本当に大変な雨でした。
STREETCOFFEE&BOOKSは、普段、なるべくいつも通りの空気を心がけていて、いつものように営業をしてしまったのですが(ほんのちょっと早終い)こういうときは「開けていること」が正解なのか、「開けていないこと」が正解なのか、正直私も毎回葛藤しています。毎回、ない正解を探り”わからない”と思いながら、その都度判断するしかないのかもしれません。
お店を開けていることで「その場で心細い思いをしているひと」に寄り添いたいと思う反面、「やってるなら行っちゃおう」というひとの気持ちを誘発しているかもしれず、それはその人の危険を煽っていることにもなるかもしれない。
この葛藤は、コロナ初期の2020年の3月ごろもずっと抱えていました。そして、大雨や台風のたびに、どのお店も、店主も抱えている気持ちだと思います。
感情を共有する。それは、今感じている気持ちをシェアするということ。
東日本大震災のあった、2011年3月11日。私は渋谷のカフェでちょうどアルバイトをしていました。キッチンで大きな揺れを感じて、みんなで寄り添い合ってニュースを食い入るように眺めていました。
それから一週間、バイト先も営業再開の目処が立たず”とりあえず自宅待機で”の中で救いだったのは、ルームシェアしていた友達との、感情の共有だったように思います。
「怖かったね」「不安だったね」「心細かったね」
それらを、ひとりで留めずに、声に出し合って共有する。相手の感情にふれる。そして、自分の感情にふれる。
たった、それだけのことがとても心強く、孤独をやわらげてくれたように思います。
怖かったね、無事で良かった、と存在を確かめあうこと、確かめあえる存在がいるということは、心を落ち着かせてくれるのかもしれません。
相手の感情にふれる。それは相手自身にふれること。相手の中の相手にふれること。
相手の”思考”にふれることも、とてもとても好きなのだけれど、その思考の発端となった”相手自身”にふれたくなる。それは、建前という壁の向こう側に垣間みえる、やんわりと光って漂っている灯りみたいなものかもしれません。
私たちコーヒー屋にできることは、決して多くはないけれど。”大切だ”と思える小さなことを、いつまでもいつまでも大切に出来たらいいなあと思います。
今週も、出来れば、穏やかに過ごせますように。頑張りましょ◎
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コメント4件
災害の起きそうな大雨警報や台風の時は営業しなくても大丈夫だと思います
あと「ごめんなさい〇〇の為本日は営業しません」というお知らせの「ごめんなさい」も要らないかなぁ
震災時、周りに仲間達がいて感情の共有ができて助けられたのですね
不安な時だけでなく、楽しい事でも感情の共有ができる人が周りにいる事は幸せですね
コメント失礼します。
はじめこの記事を読んだ時、「絶対にお店開くべきじゃない!確かにstreet coffee and booksさんの居場所を求めてる人が1人でもいるかもしれない。それでも次また会えるよう、今は自分の身を大切にしてほしい!」と思いました。
でも読み進めていくうちに、”共有すること”の大切が見えてきてのも事実。
つまり、お店は無理に開かずとも、「そこにのんさんが(共有できる人が)いる」という事実が大切なのかなと、自分の中で解釈しました。
それはコーヒー屋ではなくとも、1人の人間としての在り方なのかなと。場所ではなく、人なのかなと。
(と言いつつ、自身が安全な状況を確保していることはマストですね)