コーヒーあれこれ
そういえば、インスタグラムにもブログにも、コーヒーのことを全然書いていない、、と、ときどき反省している。
いや、正確には、反省はしていない。反省はしていないけれど、書かなさすぎてもどうなのか、と思ったりはしている。一応。
かれこれ14年近くコーヒー淹れていて、当たり前だけれど当初に比べたら随分「誰かに飲んでもらうこと」を経験出来ていると思う。毎日何十杯か淹れているのだから、そりゃあそうだ。
夏と冬、晴れの日と雨の日、湿度の関係、コーヒー豆の種類やエイジング具合、1杯の完成点をどこに置くか、相手のコンディション、などなど。コーヒーを淹れる、と言っても一定に淹れるだけじゃなく、さまざまな要素によってミリ単位で足したり引いたりしながらコーヒーに向き合い続ける仕事。
毎日「完璧なコーヒー」が淹れれているのか、といわれれば、それはNOと言わざるをえない。なぜなら、相手のコンディションや感情を断定することなど絶対に出来ず、推測することしか出来ないからだ。
品質の良いコーヒーを、適切に淹れる。
それはまず、大前提として。そして、そこからはわたしたちの想像力と観察力と、あなたとの関係性において随時更新される。(もちろん日々の勉強からも)
美味しいか、美味しくないかは、あなたが決めて。わたしたちは、わたしたちが美味しいと思うものを、美味しいと思う状態で提供する。そこから先は、あなたの領域だ。あなたが自身が判断してくれることを心から望んでいる。
ちなみに「このコーヒー好きだった」や「もう少し酸味がある方がいい」などの感想は、ぜひとも教えてもらえたら嬉しい、といつも思っている。そうしたコミュニケーションから、あなたにとっての美味しい1杯に近づく可能性は拓けていく。
そういえば昔「あなたのコーヒーはずるい」と言われたことがある。「相手の好みを覚えて、それに近づけて淹れるのはずるい」たしかそんなニュアンスの言葉で、私はそれを名誉な言葉として受け取った。
”お店の味としての絶対点より、相手の好みを探る”、”うちの味はこれです、と勝負していない”という意味だと思うのだけれど、そういう意味で捉えればたしかにずるい、と言えるかもしれない。
ただ、私にとって大事なのは、何かと勝負することではなく、「STREETCOFFEE&BOOKSの味を定めること」でもなく、「あなたにとっての気持ちがほぐれる1杯を提供すること」だ。
そのために、私自身が最高に美味しいと思えるロースターから豆を卸してもらい、適切に抽出できるよう日々向き合い、同時に相手とのコミュニケーションから最適な一杯を、その都度感じ取りたいたい。
話しをすることも、コーヒーを淹れることも、対話。話しをせずに、同じ空気を味わうことだって、対話かもしれない。
コーヒー屋って本当におもしろい仕事だなあと改めて。
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コメント4件
いつも美味しいコーヒーをありがとう
お店の味ではなく、その人にあった味のコーヒーを淹れているなんて素敵すぎる
コーヒーとの対話は、それを飲んでもらう相手との対話でもあるのですね
という事は、自分で飲むコーヒーを淹れる事は自身との対話でもあるのかな
嫁ちゃんは「ひとが淹れてくれたコーヒーは美味しい」と良く言っている
私が淹れたコーヒーでもそう言ってくれる
なんか嬉しい☺
確かに希さんのブログってコーヒーのことと言うよりも人の事を書かれてますよね。
でも本質を突いててスゴクいいと思いました!