カフェってなんだ
今日は、朝から頭の中がパンパンで、浄水のカフェに行こうと決めていた。
月曜日にやっているカフェは少ないし、遠くのカフェは移動時間を考慮するとゆっくりとした時間を過ごせない。小さい喫茶店はパソコン作業には向かないし、ある程度、壁を向いて放っておいてくれるカフェがいい。コーヒーは美味しい方がいい。
そう思った時に、まず選択肢にあがるのがここのカフェだ。
いろんな人が、おもいおもいの時間を過ごしていて、お友達との会話を楽しむ人もいれば、一人でじっとしている人もいる。ここのカフェはいい意味で”定められていない”。
とってもいいカフェだなあ、と来るたびに思う。
カフェってなんだろう。
どうしてカフェに行ってしまうのだろう。
カフェに行かないとどうなってしまうのだろう。
カフェは、生活に絶対に必要、というわけではない。きっと、カフェがなくたって、人間は生命を存続できる。だけれど、私はカフェがなかったら、いろんなことがしんどくなっていて、健康的な生活をおくれていなかったかもしれない、と思う。
”しなければいけないこと”が増えていくにつれ、頭の中身がぎゅっとパンパンになってくる。この場合の”しなければいけないこと”は、本当に些細なことばかりで、”あ〜メールの返信しなきゃ”とか、”あ〜、子どものあれしとかなきゃ”とか、”あ〜、卵買わなきゃ”とか、めちゃくちゃ小さいことだったりする。
それでも、どれだけ小さなことでも”しなければいけない”と思うことについて、脳の容量を1%でも取られることが苦痛で、これは自分のキャパシティの問題でもあるのだけれど。
”しなければいけない”が押し寄せてきたときに、”しなくてもいいこと”をすると、ほんの少し脳みそに余白ができる。その”しなくてもいいけどしたいこと”の代表格が、私にとっての”カフェに行く”ということだったりする。
カフェを求める気持ちが切実だ。自分でも可哀想なくらい、切実かもしれない。
私にとってのカフェは”余裕のある時にいく日常のプラスα”なんかではない。
”日々を正常に営むための根底”に近い。社会でなんとか生きていくための術、みたいな。
世間一般でのイメージのカフェ像より、もっともっと、切迫している。
自分のキャパシティがとっても少ない、ということを自覚してからは、”しなければならないこと”をできるだけ少なくして生きていくことにした。完全にゼロにはできないけれど、少しづつ、少しづつ削いでいく。
仕入れもそう。お給料もそう。「この人に、お店に、なるべくたくさん払いたい」という人と一緒に働くことで”しなければいけない”ではなく、”したいこと”にする。(とはいえ、今は全然たくさん払えていないのだけれど)
”しなければいけない”と”したい”は、他人からは判断できないくらいの差異かもしれない。それでも、そういう選択が、私にとってはとっても大切なこと。
何かを決めるときの動機には十分だ。
カフェってなんだ。そのことについて、何年もずっと考えている。
カフェってなんだ。カフェって、なんなんだ。
あなたにとっての、カフェってなんですか。
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コメント4件
自分にとってカフェは
人生の”ハブ空港”的な存在かな。
そこに立ち寄ることで、
新しい出会いであったり、
気づきであったり、
新しい目的地であったり、
時にはゆっくり羽を休める場所であったり、
自分の幅を広げてくれる。
そんな存在。
きっとカフェじゃなきゃ
起きない事、
出会わない人、
気づかない事、
が、ある気がする。
カフェから時代は創られる
人生のトランジットをする場所かな。
浄水のカフェ、隣が美容院のあそこかしら?
午前に行ったら営業は午後からだったんで、まだ入った事はないけれど良さそうな雰囲気ですね
カフェに行く理由が”日々を正常に営むための根底”に近い…
なんだか自分の事みたいだ
カフェのおかげでなんとか生きて来られたし、今は週末にしか行けないけれど、コーヒーを飲みに行くだけなのに月曜日から頑張れる気がするんだ
素晴らしく美味しいコーヒー豆を手に入れる事が出来るけれどカフェに行ってしまう
カフェってなんだ?ʬʬʬ