パブリックについて考える

STREET COFFEE&BOOKSを指差し、「なぜ、このような形態のお店をしているのですか?」

と聞かれれば、その質問には胸を張ってこう返したい。

「まちにとって、必要なものだと思うからです。」

カフェを研究している飯田美樹さんの2冊目の本、「インフォーマル・パブリック・ライフ」を読んでいて、改めてパブリックとカフェが強く関係していることについて考えさせられた。

”まちの、どこにも、居てもいい場所がない”

著者の飯田さんの感じた子育て中の孤独や閉塞感は、私が子育て中に感じたものと、とってもよく似ている気がした。

”まちの、どこにも、居てもいい場所がない”

子どもを産んでから、街にくるたびにそんなことを感じていた。

両手いっぱいに荷物を持ち、物理的にも精神的にも時間的にも自由に動けない状態で、いつ泣き出すかわからない子どもを抱っこしながら、ほんの少しでも”ここに居てもいいよ”と言ってくれる場所があったなら。

少しだけ、荷物をおろしてもいい場所があったなら。

24時間気を張ってへとへとになっている時に、ほんの5分でも気を抜いて温かいままのコーヒーを飲める場所があったなら。もし、そのあいだ、誰かが子どもの生を見守っていてくれたのなら。

子どもが大きくなっても、あの時の気持ちは鮮明に思い出せる。

そういえば、、と、それより前にも同じような気持ちを感じたことを思い出す。

お金をあまり持たずに上京した時にも”居てもいい場所がない”と感じたことがあった。

都会における”居心地がいい”は、購入しなければ手に入らないもので、逆にいえば、購入できないのであればそのような場所にはいられない。街のいたるスペースは所有者のものであり、金銭的価値を生み出す場所。それが出来ない人には用がない。そういわれている感じがした。

その時は、圧倒的にお金を持っておらず、バイトとバイトの間にほんのちょっとでも眠って体力を回復したいのに、うとうとすることが許される場所がなかった。

いや、正確には”お金がかからずに”うとうとできる場所を見つけられなかった。

マクドナルドも、スターバックスも、当然だけれど眠ることは許されない。それは確かに、そうだろう。

う〜ん、と考えて、その時は奇策として、山手線をぐるぐる回っている間に仮眠する、という方法を思いついたのだけれど。治安が悪そうな公園は少し怖かったし、お店ではそのような過ごし方は歓迎されない。仕方がない、そういうものなのだ。

この2度の体験に共通するのは、”社会的弱者”と呼ばれる状態である。

金銭的であったり、体力的であったり、物理的であったり、自由に動けるわけではない状態。

「自分は歓迎されていないのだ」といういう体験は、心がザクりと削られるような気持ちがする。

”どんな人でも歓迎される場所”をつくりたい。それは、あの時の私を救う行為でもある気がしている。

公共の場所で、どんな人でもいていい場所をつくること、は、確かに瞬発的には金銭的な価値を生まない。だけれど、それは”価値がない”ということではなく、別の指標で見た時にはまったく別の意味を持つ。

その場所で居心地の良い時間を過ごしたひとは、その街に愛着を持つかもしれない。それは、街にポイっとゴミを捨てないことかもしれないし、用がなくてもその街に出向くことかもしれない。ぶらりとお散歩することかもしれないし、そのお散歩は街を見守る目になるかもしれない。

街を見守る目は、困っていそうな誰かにいち早く気付けるかもしれない。それは”監視”とはまったく別の、温かみを帯びている。

その結果、困っている誰かが放置されずに、助け合うことができるかもしれない。

そうなった時、その場所の価値は、金銭でははかれない。

公共の部分のまちをつくるにあたって問題なのは、社会的弱者と呼ばれる状態の人とはおよそ無縁の人が、まちをつくっているということである。

悪気はなくても、”困っている状態の人”を想像しにくい環境にいる人であれば、その視点はすっぽり抜け落ちる。だから、そういう視点を建設的に伝えていかなければいけない。

富を持ち、時間もあり、体も軽やかに動ける人は、”居心地のいい場所”を手に入れることができる。きっと、より良い、居場所を見つけることができる。良いサービスを購入することができる。

だとしたら、”それなりに居心地のいいパブリック”を本当に必要としているのは、自由に軽やかに、いつだって動けるわけではないひと、いわゆる社会的弱者と呼ばれる人、なのではないだろうか。

そして、社会的弱者と呼ばれる人と、無関係な人はおそらくいない。私たちはもれなく全員、徐々に歳をとり、ほんの少しずつ身体に不自由な箇所が増えていく。つまり、身体が自由に動かない立場の人のことを考えることは、全員にとって自分ごとなはずなのだ。

読んで終わり、じゃない。読んでから、が、本のはじまり。

とっても勇気をもらいました。

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コメント2件

  • 松島 馨 より:

    小さな子供を連れて来ても大丈夫なカフェ…それがSTREET COFFEE AND BOOKS
    多くの子育て中の方々にこの場所を見つけてもらいたい
    ほっと出来る場所、時間がある事は心の休息になるのだと実感して欲しい

    メグリアセントレが無くなっちゃうけど、もっと駅前が賑やかになって欲しいよね

    • NOZOMI より:

      松島さん

      メグリアの閉店は大きいですね、、
      カフェの役割を、カフェ側の私達がまず認識することが大事なのかもしれないです。
      うーん、現実的な問題と、理想論とのはざまでやってみるしかないですね(´-`)♪

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