まちを眺める
毎日、駅前を眺めているのが楽しくてたまらない。
駅前には、いろんな人がいる。
はじめてくる人もいれば、毎日通る人もいる。
用事がある人もいれば、用事のない人もいる。
楽しそうな人がいれば、悲しそうな人もいる。
いろんなひとが、ものが、ことが、共存する場所。そういうパブリックな場所では、毎日いろんなことが起こっている。
誰かが誰かに怒りをぶつけていることもある。誰かが誰かを助けていることもある。
誰かと誰かが出会っていて、誰かと誰かはすれ違っている。
その風景を眺めること、その風景の中に溶け込むこと、ときどき当事者となりながら街の一部となること。誰かの「いつもの人」になること。
それが、たのしくてしかたがない。
街は、ひとがつくっている。
ハード面だけじゃなく、その街の雰囲気や居心地などのソフト面でも、結局のところその場所の空気を醸し出しているのは”ひと”だ。
”ひと”は、環境や心境により、いつも変化している。
満たされているひとが多い街は、すぐとなりで困っている誰かに気付けるかもしれない。もし、そのときには何もしてあげられなくても、「大丈夫かな」という心配のまなざしはきっと伝わる。
ギスギスした街は、誰かの涙に気付かないかもしれない。
誰かが、誰かに親切にする。それを受け取った誰かが、また別の誰かに親切にする。たいしたことではなかったとしても、なんにもしなくても、ただ笑顔を向けるだけでもいい。一歩譲るだけでもいい。
とっても時間がかかるけれど、小さなことから連鎖する循環から何かがかわるはず。
毎日、ひたすら同じ風景を眺めている。
”街に好きなお店が増えたら、街に愛着を持つひとも増えるはず。ゴミを捨てる人も減るのではないか、治安も良くなるのではないか、柔らかい雰囲気になるのではないか”そういう思いでお店をはじめてそろそろ5年。
何かが変わった実感は、まだ、ない。非力だ。
もしかしたら、達成し得ない目標かもしれない。だからこそ、目指し続けられるのかもしれない。
達成するためにやるんじゃなくて、楽しくて続けちゃった先に何かが良くなるのであれば一番いい。
今はゆかちゃんもはるちゃんもいる。ひとりでは出来ないことも、みんなでならできるかもしれない。私が気付かないことも、2人が気付いて動いてくれる。とっても有り難くて、とっても心強い。
成長促進剤みたいな育ち方じゃなくて、自ら根っこを伸ばしてどんなものでも栄養に変えてしまうような、野性的で力強い育ち方が出来れば良い。
7月がはじまる。今年の夏はどんなかな。楽しみだ。
お店の人とお客さん、お店の人とお客さんではない人、お客さんとお客さん、お客さんとお客さんではない人、色々な人がごっちゃになってる不思議な空間
日々、人と人が何らかの力によりこの場所に引き寄せられている
私が何か出来る事はないけれど、その空間で起きている出来事を感じて、記憶に残したい気持ちになるʬ
この不思議な空間がずっと存在していて欲しいと願う