カフェのフィールドワーク
4月の終わり頃から、シェアマネーという器をお店に設けている。
”助けたり、助けられたりすることが、もっと当たり前に、誰にとってもいつも手の届く場所にあって欲しい”という願いから、どんな人でもお金を入れたり、取り出したりすることができる”共有資金”という位置付けだ。
これを設置してから、お店に立つ私たちは、さまざまなことを感じ、考え、”他者を理解すること”に向き合わざるおえないような、何だかわからないけれどとっても濃い日々を送っている。
”お金”の地位を下げる”には、”そもそもの大前提を問いかける”という作業が必要であるということを知った。
それは「所有の概念」が強固な時代に生きてきた私たちにとって、到底簡単なことではなく、それでも”誰かのために”と、そうっとお金を入れていってくれる人たちがいて、そういう人たちの気持ちを想像するとぎゅっと心臓が苦しくなるような、世界の美しさにふれたような気持ちになる。
もちろん、予測していなかったようなことも日々起こる。
”問いかける”ということは、自分たちもまた”問いかけられる”ということであり、愛おしさや葛藤、どんな状況もおもしろがる精神力を養わせてもらっている気がする。
例えば、シェアマネーから400円取り出してコーヒーを買い、その後に自分のお財布から400円取り出してシェアマネーに入れることは、多くの人にとって無意味だと感じるかもしれない。でも、それには大きな意味があり、その意味を共有できるような人が増えたら、社会は何か変わるかもしれない。
”世界は循環している”
自然も、人も、社会も、経済も。”交換”ではなく”循環”を軸に考えていかないと、必ず無理が生じる。交換だけでは、立ち行かなくなる。
いや、そもそも、自分たちは循環の渦にもうすでに巻き込まれている。生まれた時から今日に至るまで、受け取りながら、そして意図せずとも贈りながら、生きている。そのことに気が付くだけでいいのかもしれない。
さっぱりとした視点で見たら無意味だと思えるようなことも、深慮してみたら意味が視えてくることがある。
いろんな出来事の”意味”を知りたい。なぜ、そうなったのか。どうして、そうするのか。
意味がわからなければ理解できないことも、意味がわかったら、理解できそうだと思えたりする。
目にうつる事象の、ひとつひとつの意味を知りたい。それは、離れた場所で起きている出来事を自分とは無関係だと線引きせずに、知ろうとすること。
それは絶対、無意味じゃない。この世界で起きていることに、自分と無関係なことなど何ひとつない。
毎日暑い中お疲れ様です
シェアマネーの取り組み、大変興味があります
シェアマネーの器から400円を取り出しコーヒーを買い、財布から400円入れる…
これはシェアマネーを使わせて頂きありがとう(感謝)と、次の方にも是非使って頂きたいという(想い)が込められているんですよね
先日、小学生低学年と思われる女の子が交通系のカードは有るけど現金を持ち合わせていない場面で飲み物を買いたい時にシェアマネーの仕組みが良い感じに働きましたね
あの女の子の心にも何か残れば良いですね
あ、私はバス代の両替にも使わせて頂いておりますʬʬʬ
人の想いが込められているシェアマネー、これからどうなっていくのか楽しみですね