1月の予定
1月の予定です。
STREET(駅前)
※1日〜4日 お正月休み
定休日:日月
【営業時間】火水木金 7時ー16時/土祝 10時ー16時
ROJI(樹木荘)
※1日〜3日 お正月休み
定休日:月火
【営業時間】水木金土日 10時ー17時
駅前でコーヒーを淹れること。そして路地裏でコーヒーを淹れること。
今年は、この2つの対象的な側面を体感できるのがとても楽しかった。
コーヒーとはなんだろう。それを捉えようとしたときに、よく見えるように光を当てるとする。それが、たとえば正面から光を当てるのか。逆側から光を当てるのか。はたまた、サイドから光を当てるのか。
それによって、浮かび上がる表情はまるで異なる。
駅前には、駅前の光の当て方があり、露地には露地の光の当て方がある。
コーヒーには、さまざなな側面がある。
たとえば、朝の目を覚ましたいとき、それからちょっとリラックスしたいとき、ひとりの時間を過ごしたいとき、だれかと繋がりたいとき、孤独を味わいたいとき、悲しい気持ちを委ねたいとき、楽しみたいとき、好奇心を刺激したいとき、欲を抑えたいとき、思考をクリアにしたいとき、脳を休ませたいとき、脳を働かせたいときect…
コーヒーのどの側面を、どのように捉え、どう表現したいのか。
それがコーヒー屋なのだと思うのだけれど、それにはどこからどれくらいの光を当てるのか、角度や照度を調整する必要がある。駅前も、露地も、それぞれの日々に微調整が欠かせなくて、それは一回調整すればOKということではなくて、その場その場の空気感によってちょっとづつ違う。
それはまるで、エスプレッソを調整する作業のようで、はじめは数字で計測していても、毎日毎日繰り返していることで、指先が、皮膚が、教えてくれる。
太陽のような人に最適な角度は、はたまた月のような人に最適な照度は、風のような人に最適な濃度は、凪のような人に最適な風向きは、など。それを調整できるようになることが「コーヒーを淹れることができる」というのかもしれない。
もっと言えば、その場所の全体的な視点がいるかもしれなくて、それは誰かの意図だけではではどうしようもなく、どちらかといえば受容の範囲をどのくらいに、という話で。それでいて、そのうえで、その日限りの演奏を楽しむようなものなのだけれど。
それを「コーヒーが淹れられる」と呼ぶのであれば、わたしはまだまだ途中。
「コーヒーを淹れらるようになる」の過程を散策しながら歩いている最中。
その散策があまりにも楽しくて、愉快で、ぜんぜん帰路につけない。そんな感じなのかもしれない。
順光が、ものごとをくっきりはっきりと写すとして、
逆光が、輪郭と質感を際立たせるとして、
サイド光が、立体感とコントラストを写すとするのであれば、
駅前が順光的で、露地が逆光的で、サイド光が私自身が見たいと思っている世界のような感じがしている。
12月の営業ものこり1週間。良き日々でありますよう。
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コメント2件
建物の設計でも「パッシブデザイン」という考えがあります。電気やガスで機械を動かして強制的に快適(に相当する状態)を作り出すのを「アクティブデザイン」というのに対して、その環境の自然のポテンシャルを活かす手法・考え方です。
冬は太陽の恵をいかに上手取り込み、冷たい風を防ぎ、室内の熱を逃がさないか。夏は暑い日差しを遮り、心地よい風を迎え入れるか。
基本的な手法はある程度決まっているけど、環境条件や建物利用者の条件は異なるので、手法の使いどころに配慮が必要です。
コーヒーの側面の話と似ていると思いました。
順光でも逆光でも光のエネルギーが強すぎると何も見えなくなってしまう
輝く光の中に居たら「光」の存在を忘れてしまう
漆黒の闇に居ると遥か彼方の僅かな光の輝きに気がつけたりね
生きることは光と闇の間をうろうろと散歩することなのかもしれないね