異なったまま、共に在る

ああ、これが共生か。
という感覚を、先週の木曜日に体感した。
普段私は駅前にいることが多いのだけれど、木曜日、最近は樹木荘にいる。樹木荘のROJIは駅前とはずいぶん違う雰囲気で、毎回「ほう、、」「へえ、、」「そうか、、」などと呟きながら新鮮な気持ちを味わっている。
先週の木曜日は穏やかなはじまりで、その時間は突然やってきた。
共生、というのは辞書で引くと”《異種の生物が、相互に作用し合う状態で生活すること》と出てくる。
”異種”そして、”相互に作用し合う”。
他者を、他者のまま、迎えいれ、共に過ごす。自分にできることを差し出し、相手の差し出してくれたものを受け入れ、それが双方にとって豊かになるもので、片方だけでは存続できず、お互いに異を認めながら尊重し、棲息している。
名前も、肩書きも、何にも知らないその人が、ここを味わってくれている間、わたしもその場所を見守る。それぞれのいのちが、それぞれの方を向きながら、交わらずに、共に、在る。
あなたとわたしは別々の存在で、だからといって無関係という訳ではなく、お互いに作用しあって、ここに、共に、居る。
それはとても心地の良いひと時だった。
思えば、わたしの目指す”お店”は、”共生”の状態なのかもしれない。
異なるものが、異なったまま、共に在る。
無関心でもなく、無関係でもなく、作用はするけれど干渉はせずに。
などと思っていたら、子どもが「もののけ姫」のDVDを流しはじめた。もののけ姫は、まさに共生や共存について描かれている。大人になって改めて見るとまた感慨深い。
あなたはあなたの世界で、わたしはわたしの世界で、共に生きよう。
きっと、まさに、そういうことなのかもしれない。
あなたはあなた、わたしはわたしの人生を生きる
他者に遠慮して「わたし」の人生を生きていないって事もあるのだろう
お互いを尊重して、「関わり過ぎない」適切な距離感も必要なのかも