イン・ザ・メガチャーチ

”「我を忘れて何かに夢中になっている方が、楽だからです。」”
今読んでいる本の作中に出てきた一言が、やたらと引っかかっている。
今読んでいるのは、朝井リョウの新刊「イン・ザ・メガチャーチ」。いわゆる推し活と呼ばれるものを、仕掛ける側とのめり込んでいく側、元のめり込んでいた側の3つの視点でえがいている小説。
詳しい内容は書籍を読んでもらうとして。
さっきの一言である。
”我を忘れて何かに夢中になっている方が、楽”
この一言を読んだ時に、どっと肩の力が向けるような感じがした。そうなのだ、本当にそうとしか言いようがない。
我を忘れて何かに夢中になっている対象が、仕事なのか、子どもなのか、恋愛なのか、推しなのか、SNSなのか、何であるのかはそれぞれだけれど、その時おそらく大変だししんどいのに、《一生懸命何かをしている》こと自体が、心の支えになっている側面がある。
一生懸命仕事をしてしまう人が、高尚な人物というわけではなく、そのほうが生きていく上で楽だから、という可能性は大いにあり得る。
社会のために、とか、街のために、とか、夢のために、とか、そういった言葉はとても輝いていて、もちろん嘘ではないのだけれど、もしかしたらそれだけではなくて、それによって自分が支えられているという面が少なからずあるような気がする。
私はうっかりすると、やや仕事にのめり込みがちになる。(かろうじて家族というブレーキが効いている)”我を忘れて何かに夢中になる”という面から見てみると、推し活と似たような構造なのかもしれない。
自分とはまったくの無関係だと思っていたものが、因数分解したら自分のすぐ隣にあることがある。
朝井リョウの小説は、”こういうところ、あなたにもありますよね?”と問いかけてくるようで、いつもギョッとする。このギョッとする感じは、喪黒福造に指をさされて「ドーン!」と言われるようなもの。見えていなかった自分の弱さや欲を見せつけられるようなもの。
だから、読んじゃうんだろうな。
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