聞く技術 聞いてもらう技術
聞く技術 聞いてもらう技術/東畑開人
東畑さんの本が入荷しました。
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ちょっとしんどいことがあったとき、どうしても「聞いてほしい」ことがあるとき、苦しい心境を知ってほしいとき。それなのに、なかなか言い出せないとき。
そんなときに、手のひらの中で「聞いて」くれているような気持ちになる本です。
10年くらい前、そんな心境になったとき、見ず知らずのカウンセラーに、思っていること、悔しいこと、悲しいこと、怒っていること、とりとめもなく話したことがある。話はまとまっていなくて、自分の正当性を主張するばかりの言葉で。ひたすら混乱している脳内をそのまま吐き出した気がする。
その人は、何か言葉を返すわけでもなく、押し付けるわけでもなく「うん、うん」と聞いてくれた。
最後に「今の環境はあなたにとって、負荷がかかっていると思うよ」とひとこと言ってくれた。あぁ。やっぱりそうだったんだ、と思えた。救われた。自分でも自覚していたことを、改めて第三者として聞いて、肯定してくれたことで、状況は変わっていないのに心の中はスッキリした。スッキリとしたら判断ができるようになり、次第に状況は変わっていった。
アドバイスするでもなく、解決しようとするでもなく、ただ「それはつらかったよね」と言ってもらう。第三者という立場が重要であるのかもしれない。いい意味で、無責任に、となりでただ聞いてくれる人。
そこには「正しさ」はなくてもいいのかもしれない。正しさは、ときに刃となって突き刺さる。「ただただ聞く」を望まれている時に必要なのは刀ではなく、そっと差し出すハンカチだったのかもしれない。
誰かを支えるには、その支えようとする人を支える人が必要だ。そして、その人を支える人が必要であり、そのまた向こうにも支える人が必要だ。「聞く人」は、誰かに聞いてもらう必要があり、その誰かの話もまた、別の誰かに聞いてもらう必要がある。
そうやって、社会はゆるやかなつながりをもって循環している。
「つらかったね」「大変だったね」「悲しかったね」と、ただ一言、誰かがわかってくれようとしたのであれば、それはきっと、ほんの少し現実に耐えるチカラをくれる。そして、チカラを得たその人は、きっと別の誰かにチカラを渡せる。
もしかしたら、このブログも「伝えたいことを伝える」というよりは「消化できないことを聞いてもらっている」のかもしれない。そう思うと、こうして読んでもらっている人たちに私は支えられているのだ、と思う。
いつも本当に、ありがとうございます。
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