じんわり満ちる
12月の初旬、時間は11時頃。
わたしのとっても好きな時間。
1年の中でこのときだけ、駅前のお店はとってもいい角度の陽が差してくる。
低めの太陽がゆっくりと昇り、カウンターのはしっこにスポットが当たる。
その位置でドリップすると、光の反射で液面がキラキラと波打ち、集中すればするほどあちらの世界にいけるのではないか、という高揚感が押し寄せる。
それを、そのときどきの、目の前の相手と同じ気持ちになれたかもしれないと思えたとき、とっても心が満たされた感じがする。(同じ気持ちになれたのか、正確にはわからないのだけれど、なんか、たぶんそうなのだと思う)
っていう遊びを、この季節は心の中でしている。
普段もきれいなのだけれど、このときのきれいさは格別だ。
この、ドリップを眺める、という行為は、おそらくなのだけれど、ペットを愛でるとき、大切な人と触れ合うときやハグをするとき、道行く誰かに親切にするとき、安心に包まれたとき、受け入れられたとき、ポカポカの太陽に当たっているとき、などと、ほぼ同じといえるのではないか、と思う。
それらは、じわじわと自らの心を穏やかにし、満たしていく。
はかることのできない喜び。
即効的でぶっ飛んだような”超ウルトラハッピー”ではないけれど、もうすこし沸点低くゆっくりと充ちていくような。そういう”喜び”は余韻が残る。
「誰かに親切にする」ということだって、徳を積む、とか、回り回って自分にいいことが起こる、とか、そういう物質的な世界の話ではなく、おこなったその瞬間に自分の中に充ちていくものがあり、その時点でもうすでに受け取っている、ということなのだろうな、と思う。
あんぱんまんもいっていた。「なんだかいいことをすると、こころがぽかぽかするなあ」って。
この心のぽかぽかは、心にも身体にもいい影響を及ぼす。
その観点からすると、接客業が好き、というのはとてもわかりやすい。
接客というのは、目の前の人を大切にすることであり、喜んでもらえるよう考えること。その時点で、もうすでに自分も満たされている。
いま、毎日のわたしの心地よさは、ひとりひとりのコーヒーを淹れさせてくれる方々や、道を訪ねてくれる人、挨拶を交わしてくれる人などが生み出してくれているのだということに気がつく。なんというありがたいことなのか。
そのじんわりとした喜びには、やわらかな中毒性さえあるような気がする。
縁があろうとなかろうと、友人であろうとなかろうと、お客さんであろうとなかろうと、家族であろうとなかろうと、分け隔てなく目の前の人を大切にする。そういう姿勢で生きられたら、と思う。
今年も例のキラキラの季節がやって来ましたね
気温は寒いんだけど心はぽかぽかなのですね
私も今の仕事に就いて「心がぽかぽかする」を味わって?います
「私はスマイリングに行くのが楽しみなの」(スマイリングはデイサービスの名前)、「いつもこうして連れて行ってくれて有り難いねぇ」、「運転手さん、6人全員のお家ちゃんと覚えてて凄いねぇ」なんて言われると涙ぐみそうになる
沢山の命を乗せて運転する事は緊張もするけれど、無事に送り届けた後はなんとも言えない気持ちになる
給料が安くても送迎ドライバーの仕事を続けている先輩方が多いのは「やりがい」みたいなのが有るからなんだろうな