わかりやすさの罪/武田砂鉄
わかりやすさの罪/武田砂鉄
納得と共感に溺れる社会で、
与えられた選択肢を疑うために。
「すぐに分かる!」「わかりやすく!」の提供を求められる日々の中で、あえて「わかりにくい」を何度も反芻して思考したり、一言ではまとめられない人心をそのまま受け取ってみてはいかがだろう。
白でも黒でもない、モヤモヤの中にこそ、人間のおもしろさがある。
—–以下、抜粋—–
「よ!ナイス失敗!」といった寛容さや余白を、テレビやインタビューやどこかの遠い国ではなく、目の前を通り過ぎてゆく景色の中に増やしていきたい。
正解や不正解をジャッジするのではなく。不正解を放置しておくことが私たちの生活にはもっと必要なのだ。
人の心をそう簡単に理解してはいけない。そのまま放置することを覚えなければいけない。理解できないことが点在している状態に、寛容にならなければいけない。
「どっち?」の問いに「どっちでもねーよ!」と答えたくなる機会があまりにも多い日々。私たちはいつだって、どっちでもないはずなのだ。
_______________
個人的に、とても好きな類の本。
タイトルにもあるように、この本自体が、とてもとても、わかりにくい。
だからこそ「何を言いたいのか」というところを注意深く思案する必要がある。そして、すべてを「わかった」にしなくてもいい、というところに安堵する。
ありがたいことに、インスタグラムなどで投稿した言葉を「よくわかります!」「共感します!」と言ってもらうことがある。それはそれでとても心強いし嬉しい。だけれど、はたして自分の伝えたいことが「本当に伝わったのだろうか」という疑問を持つこともある。
なぜなら、書いた自分ですら「本当にこの文章で自分の伝えたいことを、的確に表わせいるのだろうか」と投稿後も、数日経っても、疑問に思っているからだ。
わからなくても、いいよ。わからないままに、受け取ってくれればいいよ。
そんな言葉が思考の余白を生み、その余白が気持ちの余裕となる。今の日本人に必要なのは、そういった心の隙間なのかもしれない。
関連記事
コメント4件
武田砂鉄さん、大竹まことゴールデンラジオの紳士交遊録にゲストで出演されていますのでぜひポッドキャスト聴いてみてください。
うまく表現出来ないけどこの文章を読んで思ったことはこれを書いた人の事をたまらなく好きになる。
この価値観、考え方、気遣いの表れが文章に映し出されている。
そうそう!分かるわ〜ってのがある。
ノンさんに言わせるとそこじゃないんだけど?ってあるのかもしれないが自分の思ってることがうまく表現されていて自分の代弁者だ!なんて勝手に思ってる(笑)
最近、頭の中で思ってることが言葉で相手に伝えられない。文章にするとすこし伝わる気がする。昔は言葉ですビシバシ表現出来ていたのが最近、歳のせいか言葉が出て出ない(;o;)
そんな自分にイライラし自己嫌悪。
このブログを読んですこしリラックスo(^-^)o
さあ明日もボチボチ行こう!と自分に言い聞かせる(笑)