結局、利他とは

4月に仕入れた本の中で、ひと際考えさせられる本があった。

「利他」とは何か

その中でも、1章の伊藤亜紗による考察がいちばんしっくりときた。

それによると、利他主義とは「合理的な利己主義」である。自らに対して、一直線に利をなすのではなく、反対方向(他人)に向かっていくけれど、それは結局「利己」ではない、とは言い切れない。

たとえば、時計の図形に照らして考えてみる。

今現在、12時のところに立っているとする。1時の地点を目的地(願望)にしているとする。時計回りに進むのはここでいう「利己的」であると考えられる。自らの願望に対してまっすぐに進んで行くイメージ。反対に、逆方向とも思われる11時の方向に進んでいくことは一見「利他的」であるような気がする。だけれど、結局、遠回りをしてでも1時の方向にたどり着きたい、ともとれる。そうである場合「利己」と「利他」は対立しておらず、むしろ隣に存在しているような感覚になる。

「世の中に存在しているほとんどの利他」が「合理的な利己」であったとしたら、本当の利他はいったいどこにあるのだろうか。

利他という出来事の妨げになっているのは「作為」ではないか。利他とは、人間が「行う」ものではなく何かの通路となったきっかけに「生れて」くるものではないか。「うつわ」のように、常に相手が入り込めるような余白を帯びたものではないか。

このあたりの言葉が非常に興味深く、自分の行動を顧みたときの考察にもつながる。

先日、ある質問を受けた。

「なんのために、そんなに本を読んで、なんのために紹介してるの?」

STREET COFFEE&BOOKSの店頭にある本を売っても、それほどの利益にはならない。(手数料として多少はプラスになるけれど、それに費やした時間や労力が戻ってくるような金額にはなりえない)それでも、本を読んで、店頭に並べて、紹介して売る意味って何?何がしたいの?という質問だった。

その時、私は「おもしろい考え方の本や、別の角度からの新たな視点を紹介することによって、世の中がより豊かになると思う」という返答をしたのだけれど、この本を読んだ後にはそれこそ「合理的な利己」であったのではないか、と思い知らされた。

ユニークな考え方や合理的ではない世の中は、私にとって住みやすい世の中なのであって、それを他人にまですすめているのは私の自己都合とも言える。

「人のために」を、作為的ではなく、考えずに、とっさの行動で、押し付けもせずに、余白を伴って受け止めるような、うつわのような人になるにはどうしたらいいのだろう?と、考えてみたのだけれど、、、それを考えている時点で猛烈な作為が存在しているので、本物の利他の境地にはたどり着けそうもない。

一旦これを胸の外に置いておいて、熟成させておくのがいいかもしれない。知らないまま過ぎていくのと、知った後に一度忘れておくのは、似ているようで全然違う。

最近読み直した「GIVE&TAKE」もそうだけれど、人間のおもしろい部分(汚さや弱さや不合理さも含め)にとても興味がある。

お店にいると、いろんな人を観察できてとにかくおもしろい。特に、仕事としての現役を終えた「おじいちゃん」たちを観察するのがとてもおもしろい。名付けて、カフェの人類学。日々、飽きないのは彼らのおかげかもしれない。

「利他」とは何か もし興味ある方がいればぜひパラパラしてみてください。

2021年04月17日 | Posted in BOOKS, ブログ, 生き方についての本, 私の生き方 | | 2 Comments » 

関連記事

コメント2件

  • norisan420 より:

    職場でも
    『利他の心』『自分ではない誰かの為に』
    なんて言葉が飛び交う
    誰かの為に何か出来る人は素晴らしいと思う。

    でも、自分が幸せでないのに、他人を幸せに出来るとは
    思わないし、行った行為が必ずしもその人の為になるとも限らない。
    だから自分の為に一生懸命行きたいなぁ。
    結果、それが誰かの為になってたら最高!

    のんちゃんはコーヒーが好きで、本が好きで
    自分が好きなモノを発信して、
    それを感じてホッコリする人がいる。
    自分の好きなことで誰かを幸せに出来てるから
    すごいなぁ。

    もちろん今の世の中、疑問に感じる人もいるやろうけど
    考え方は人それぞれ。
    同じ事で全ての人を幸せになんかできない。

    だから自分の信じる道を進めばいい。
    そうありたいと思うなぁ。

    本覗きに行くね。

    • NOZOMI より:

      norisan420さん

      ”行った行為が必ずしもその人の為になるとも限らない。”
      本当、そうですね。これを忘れちゃうから、いろいろな行き違いが発生するのかも。

      ”誰かのため”だったのか、”誰かのためアピール”だったのか。
      んん〜。複雑。

      自分にとって、何の利益もない人にどう接しているか、を省みるとちょっとヒントがあるような気がします。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です