正義について考える

「正義」の正体を知りたい。

「正義」とは、すなわち「正しさ」ということ。正義という刀を振り回してしまう人たちがなぜ出現してしまうのか、どうしてそれに自分が嫌悪感を抱いてしまうのか、それを知りたい、と思って生きている。

とくにSNSが普及した今の時代では、コロナについての考え方、事件が起きたときの世間の反応、芸能人の不倫に対する第三者の糾弾、過去の「発言」をほじくり返しての炎上、などなど。毎日どこかしらで「正義」と「正義」の勝手なぶつかり合いが起きている。

「正義の教室」は、それらの疑問に対するヒントが存分に記載されていて、とても良かった。ただ、それ以上に良かったのは、心の奥底にある「自分の主義」に気付いたことだ。

おそらく、なのだけれど。誰にでも、これまでの人生で思いっきり反発したこと、気が狂いそうなほど嫌だと思ったこと、絶対に受け入れられない環境、思想、などがあると思う。そのマイナス方面に強く反応した出来事は、まだ自分でも気付いていない「自分の主義」を発見する手がかりになるような気がする。

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知りたくもないかもしれないけれど、わかりやすく、私を例にあげてみる。

ずいぶん昔(小学生の時から)「遊びに行くときは誰とどこに行くかを報告すること」がどうしても嫌だった。今考えれば、親が心配するのも当たり前なのだけれど、当時の私はどうしてもいちいち聞かれることが嫌で嫌で仕方なく「早く家を出て独立したい」と思っていた。

高校生の時、どうしても校則を守れなくて、特に「服装、髪型」は、今思えば呆れるほどに反発していた。スカートを短くすることも、髪の毛を染めることも、それ自体を切望していたというよりは、なぜ枠の中に私を押し込めるのか、ということに対しての反抗だった気がする。

社会人になり、事務職についてからは「上司の監視」が我慢できず、二度ほど発狂している。多店舗展開しているカフェで働き始めてからは「マニュアル」というルールが耐えられなくなる。同棲していた人からの「束縛と監視」に気が狂う。

最近のところでは「車載カメラ」や「マイナンバーカード」「クレジットおよびキャッシュレス決済」など、うまく説明出来ないけれど受け付けない物がある。(お店ではペイペイを利用できるようにしているけれど、プライベートでは未だに使う気持ちになっていない)

こうしてみてみると、温厚な性格だと思われている節があるけれど、割と発狂しがちである。

どうしても受け入れられないものを羅列すると「囲まれること」「縛られること」「監視されること」「管理されること」「把握されること」など。その共通点を探ってみると「自由を侵される」ことに対して、必要以上に拒絶反応を示している。今思えば、結婚だって「最低限の私の自由を脅かさない」ということを相手の性格の条件としていた気がする。今のカフェの営業スタイルもそう。囲わない、線引しない、壁を作らない、遮らない、などもすべて「自由」というワードが基盤になっている。

それらのことをふまえると、おそらく自分は「自由主義」といえるかもしれない。

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「正義の教室」では、正義には3つの種類があると言っている。

【平等・自由・宗教(倫理)】

①平等は、最大多数の最大幸福を基盤とする。

②自由は、他人の自由を侵害しない限り好きにやれ。

③宗教(倫理)は、絶対的な善と悪は存在している、と考える。

例えば、友人から相談を受けたとする。その相談が【自傷行為をしてしまう】というものだと仮定する。

①は、おそらく「誰も得をしないからやめたほうがいい。家族が悲しむし、傷も残るのではないか」というような考え方をする。②は、「あなたがそうしたいのであれば、好きにしたらいい。あなたには幸福になる自由も不幸になる自由もある」と、いうような気がする。③であれば、「授かったものを自ら傷つけるなんて間違っている、人の道に反している」と考えるかもしれない。

①と②と③では、そもそもの正義がまったく異なる。最終的な「◯」か「☓」が一致したとしても、そこへ行くまでの思考のプロセスが異なる。

であるならば、たとえば1つのニュースに対して起こる世間の反応は、当然のように「正義」と「正義」がぶつかりあうだろう。コメント欄はそりゃあ食い違う。どの方向から、どの立場から見ているか、だけでなく、そもそもの「正しさ」という大枠の論点が全くズレているのだから。

「結局、正義なんてないのではないか」と絶望したところで、本の最後の方に、とても救われる言葉が出てくる。

”事前に正義を決めつけてしまったら、それは正義ではなくなる。何が正しいのかわからない中で、正しくありたいと願い、不安を覚えながらも【善いこと】を目指して生きていく。それが唯一可能な正義ではないだろうか”

この一文を胸に刻み、いつも忘れないようにしたい。

まだ発見していない「自分の核」を知ることになりえる本。考えることと、得るものの多い本。とてもとても面白かったです!主観たっぷりで書いちゃうほど、興奮してしまいました。失礼しました。

ーーー正義の教室/飲茶ーーー

2021年08月22日 | Posted in BOOKS, 生き方についての本, 私の生き方 | | 4 Comments » 

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コメント4件

  • たまごサンド より:

    その時、その時、ベストといえないまでも、限りなくベストを目指し、知りえる情報の中で考えた結果が、後になってみると、①と同じ結果だったり、ある時は②と同じだったり、③と同じだったりするかもしれないけど、どの分類に該当するか他人が結果を客観的に評価することで、当事者が直面している最中にこだわることではない。
    と、思ってしまうけど、ただ、これって行き当たりばったりなのかぁ、と悩むとこでもあります。

    機会があれば髪染めてスカート短くした女子高生の写真もアップしてください(笑)

    • NOZOMI より:

      たまごサンドさん

      うんうんうん。結果的にいつも②であるなあ、とか③っぽい素質を持っているな、とか、という気付きにはなるけれど、逆に言えばこれを読んだことで「私は自由主義だから、あなたとは主義が違う」みたいな隔たりになってしまうと本末転倒のような気もします。ではなくて、自分の考え方の偏りに気付くのであれば、それでいいのかも^^!

      女子高生時代^^;いつかこっそり。笑

  • norisan420 より:

    『正義』と『正義』の勝手なぶつかり合い。
    面白い表現やなぁ。確かにそうかもね。

    いろんな『正義』があって、正解がない中で
    みんなそれぞれが一生懸命で。

    30人の幼児と自分の娘どちらを助ける?
    即答で、『両方助けます』
    そんな質問じゃないんだろうけど。

    昔、高校受験の時に担任から
    サッカーに例えて、
    強豪チームで補欠、そこそこのチームでレギュラーか
    どっち選ぶ?って言われて、
    そりゃ『強豪でレギュラーです』って。

    自分が目指す物、やりたい事に対して
    条件を狭められてるようで、嫌だった。
    出来ない、無理だ、と思われるような事を
    覆したい精神が強いのかも。

    『正義』の話とはズレてるけど
    気になる本だね。
    最近、のんちゃんシリーズに引き込まれ中。

    女子高生写真も気になるけど
    インスタでたまに登場する私服姿も
    新鮮でいいよ!!

    また伺います。
    そん時はフェチネタでw

    • NOZOMI より:

      norisan420さん

      強豪でレギュラー。うんうん、のりさんっぽい。笑
      正解はAかBかだけじゃなく、A+Bもあるかもしれないし、AとBの中間の新しい道もあるかもしれない。

      最近読む本、オススメしてもらう本が、考えさせられる感じの内容が多くて
      この夏はある意味で特濃な夏になりました。笑

      私服姿、営業中とさほど変わらずかも。笑
      またフェチ話楽しみにしてますー♪

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