生きづらい、とは
「生きづらい」と感じている人が年々増えているという。
近年の自殺率の上昇や、うつ病の増加など、データからも明らかだ。
これまで「生きづらさ」の要因として、社会の仕組みや政治の方向、行き過ぎた資本主義や希薄な人間関係などが挙げられるのではないか、と思っていた。その辺りが改善されれば「生きづらさ」を感じる人も減るのではないか、と。だが、どうやら話はそう単純ではなさそうだ。
各々が抱えていて、決して可視化できない「生きづらさ」が、最近の私の勉強テーマになっている。
先日読んでいた本に「自己肯定感」についての記載があった。
自己肯定感とは、通常「自分のことを肯定する力」とされていて、自己啓発本などのタイトルにもよく使われている。サブタイトルには「自己肯定感を高める方法!」「自己肯定感を高めればすべてうまくいく!」などと書かれている。そのための方法や目指すべき習慣が書かれていたりするのだけれど、いまいちしっくりこない。無理矢理振り切ったポジティブ思考を、どこか空々しい気持ちで眺めてしまうあの感じ。
先日出会った本はその概念で固定された頭を、そっと包みこんで撫でてくれるような言葉だった。
___以下抜粋(ちょっと長い)___
”自己肯定感を持ちなさい、などと、いい歳になった人たちに臆面もなく言う専門家がいる。が、それは、育ち盛りのときに栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなものだ。自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈でいう言葉に思える。
一番大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのか。むしろ、そんな彼らに言うべきことがあるとしたら、「あなたが自己肯定感を持てないのも、無理はない。それは当然なことで、あなたが悪いのではない。そんな中で、あなたはよく生きてきた。自分を肯定できている方だ」と、その人のことをありのままに肯定することではないのか。
自己肯定感という言葉自体が、その人を否定するために使われているとしたら、そんな言葉はいらない。自分のことを何よりも大切にしてくれる存在を持てないことほど、悲しいことはない。大人であっても、それは悲しいことだ。だが、幼いときに、子どもの時に、そんな思いを味わったら、その思いをぬぐい去ることは容易ではない。それは、単に気持ちの問題にとどまらない。
ーーーーーーーーーーーーー
「生きづらさ」は、決して外側からは見えない。誰かと比べられるものでもない。数値化できない。平均値もわからない。誰の内側に、どんな感情があるのかなんて分からない。自分では想像し得ない苦しさと戦っている人もいる。
自分の発した些細な言葉に、傷ついている人がいるかもしれない。無意識に人を傷つけていることに一生気付かない可能性もある。まだまだ、勉強も知識も経験も足りない。ぜんぜん、足りない。
お店にいて色んな人に出会う度に、もっともっと深い想像力を働かせなければならないな、と思う。今、こうして人と出会いながら過ごしている日々から、何を学ぶのか。もっともっと人間のことを知りたいな、と思う。
それが、何かに繋がっていくのかは分からない。でも、もっともっと知りたい。やはり私は人間という摩訶不思議な生物が好きなのだろう。
参考文献:「死に至る病」/著:岡田尊司
コメントを残す